Adam CraniotesはNYCを拠点とする生涯に渡る時計コレクターです。それに加え、彼は作家でもあり、Timezone.comの元上級モデレーターです。彼はRedBar Groupという40分家以上、4つの大陸にまたがって時計愛好家たちがお互いに面と向かって交流する機会を設ける団体の創設者でもあります。


1.  あなたの両親は何をしていましたか?どのようなの幼年期を過ごしたのか教えてください。

父は成功した商業デザイナーであり会社経営者でした。母は心理学者でした。

私の幼少期は典型的な70年代、80年代の中流上層階級の家庭に生まれた子供のものでしたが、現代では上層階級のものとみなされるかもしれません。都会暮らしがばかばかしい程高価なものとなったからです。私が子供だった頃、もし子供を私立学校に通わせたかったら、どの家庭もそうしていました。もし私が育った場所、アッパー・ウエスト・サイドに住みたければそうしていました。これらの目標を達成するには一生懸命働かなければいけませんでしたが、決して富豪でいる必要はありませんでした。

最近では私ですら自分が生まれ育った地域がわからなくなっていましました。今は富豪ではなく億万長者にならなければならないのです。

 

普段の都会生活とは反対に、私と私の双子の姉は夏期や学校の休暇の全てをニューヨーク州の北部で祖父母と過ごしました。「中流上層階級」の雰囲気とはお世辞でも言えないような地域でした。私は今でもこの二つの世界が生み出したはっきりとしたコントラストが与えてくれた観点を大切にしています。

 

2. 子供の頃なにか大きな志しを持っていましたか?何になりたかったのですか?

正直に言うと、強い願望などはありませんでしたが、宇宙飛行士や消防士などになりたかったです。4歳ぐらいの頃に母に何になりたいか尋ねられた時、「トラック」と答えたらしいです。

 

3. 子供の頃の最初の記憶は何ですか?

私が2歳くらいだった頃です。昼寝時間の時に雷がなっていて、怯えていたのを覚えています。姉とは別々のベビーベッドで寝ていたのですが、彼女が自分のベッドから降り私のベッドまで歩いて柵を登って入り私をなだめてくれたのを今でも覚えています。それと「一体どうやって姉はあんな事したんだ?」と思ったのも覚えています。自分がベビーベッドから自力で出られるようになったのか今でもわかりません。

 

4. あなたは今まで別の職業を経験したことがありますか?何をしましたか?

私は長年に渡って結構な数の職業に就いてきました。テクノロジーの世界にまず品質保証テスター、そしてコンテンツマネージャーとして入りました。それから口座管理者になり、最終的に広告業の仕事に就きました。そこから私は小売業に入り、メイシーでコピーディレクターとして働きました。

 

5. 過去あなたは誰かの為に働きましたか?何があなたに独立し一人立ちすることを決めさせたのですか?

私がまだMacy’sで働いてた頃に RedBarを本格的な仕事にしたいと決心しました。当時私は Timezone.comのグローバルモデレーターとしても働いていました。それに加えGear Patrol、Supercompressor、iW Magazineの為に記事を書いていました。なので時計業界と無縁だった訳ではありませんでした。ある月曜日、私はボスどんな欠勤理由を伝えようかと悩んでいました。残念なことに一つも考えつかなかったので、大して好きじゃない自分の仕事をしにいく準備をはじめました。準備をしながら私は自然災害が起きて仕事が休みにならないだろうか、と願ってしまったのです。その時に私は自分が仕事に行くより何千人もの罪のない人たちが死んだ方がマシだ、と考えていることを悟ったのです。健康的な考え方ではありませんでした。同じ週の水曜日に辞表を出し、金曜日に会社をやめました。

 

6.  あなたがしなければならなかった最悪の仕事は何でしたか?

私にとって最も悲惨な経験は、トライベッカのケータリング会社と仕事をした時です。彼らが所有していた小さな店舗のレジで働いていたのですが、人生の中で一番みずぼらしい、運転を不快にした車にのって宅配の仕事をしていました。(マニュアルギア付きの古いDodgeミニバンでした。NYCの渋滞とこのようなミニバンは最悪なコンビネーションでした。)

 

7.  これまであなたの人生で一番辛い瞬間は何でしたか?どうやってそれを乗り越えましたか?

私が23歳の時に父を失った時と、妻が第一子を妊娠していた頃、私が34歳の時に心臓手術を行った時です。

 

父を失ったことは色々な理由でとても辛かったです。不思議なことに、私たちの密接な家族関係とは全く関係のない理由たちですが。それはなぜなら私たちの間にはそのような関係が存在しなかったからです。父は私にとってとても遠い存在でした。彼との距離は彼の飲酒と薬物依存でどんどん大きくなりました。とはいえ、私は彼の愛情に疑問を持ちませんでした。彼が肺がんと戦っている時、私は隣で彼が残したわずかな尊厳を保つことを約束しました。二週間後、彼が亡くなった時、彼がもう病に苦しまなくてよくなったんだと安堵しました。しかしそれと同時に、彼の人生について聞きたかった数々の質問が未回答のまま残されました。いまだに私は自分父の事を、息子が父親について知っているような風には知らないと感じます。

 

私の手術については、私の最大の恐怖が手術台の上で死に、子供に会うことができなくなる、というものだったからです。手術後の開封区は長く辛いものでしたが、息子が生まれた時に「私はこの為に戦ったのだ」と強く思いました。

 

どのように私がこれらの困難に打ち勝ったかって?半分は私の母が生涯に渡り見せてくれた強さ、もう半分は人間として私たちは前進するしかない、という事実です。困難に直面した際、「諦める」という選択肢は存在しないのです。

 

8. あなたに最も強い影響を与えたのは誰ですか?あなたにインスピレーションを与える人は誰ですか?

私の人生に最も影響を与えたのは母です。公民権運動が行われる前に黒人女性として育った母は、人種差別に打ち勝ちコーネル大学に入学しました。そこで彼女は黒人女性として初めて女性のための生徒会の委員長になりました。その後NYCに移り、コロンビア大学に入学し、修士号を取得しました。彼女は差別が存在していた頃、成功なんてできるわけがないと言われた頃に女性として、肌の色に関係なく世界を旅しました。充実したキャリアを建て、知的で才能があり、クリエイティブは男性と結婚し、双子を育て、大学に戻り博士号を取得し、個別レッスンを設け... やれやれ。

 

彼女の欲望は時には私にとって恐ろしいものでもあります。しかし私は彼女をとても愛しています。私が人生で息詰まった時、彼女の事を思い出して仕事に戻ります。

 

インスピレーションですか?まず私の双子の妹。彼女はクギのようにタフで他人が自分のことをどのように考えているかなど全く気にしません。そして私の妻(こんな私と共にいてくれるので)娘のローラ(思いがけない場面で喜びの種を見つけるので)。そして私の祖父(私を様々な場面でサポートしてくれ、父から受け取る事ができなかった愛をくれるだけではなく、初めて僕に時計を買ってくれた人です)

 

9.あなたは何を最も誇りに思っていますか?

RedBarを次のレベルにあげたことが1番の誇りです。妻と2人の子供と安定した生活から退きリスクをとることはとても難しい決断でした。しかし一旦決心した後、後悔はしませんでした。

 

10. あなたと同様の道を歩むことを考えている20代の方ににあなたはどのようなアドバイスを与えますか?

難しい質問ですね。「夢を追い続けろ」というアドバイスはありきたりですよね?これは良いアドバイスですが、いつ夢を追い、いつ夢ではない事に時間を費やすのかを知ることが重要でしょう。冗談はさておき、質問をたくさん聞き、可能性にオープンであること、良い人たちに囲まれ、笑いものなるのを恐れないこと。プライドではなく謙虚さを持つこと。

 

11. バケットリスト(死ぬまでにやっておきたいことのリスト)にある3つのことを教えてください。 

1. 飛行機から飛び降りる

2. 有名な時計工場を一つ残らず見て回ること

3. IWC North Americaの会長、Edouard D’Arbaumountとマクドナルドでランチ。私のおごりで。

 

12. 業界の10年後はどのようになってると思いますか?

クォーツ危機が起きてから機械式時計産業は終わるだろうと予測されていましたが、実際そのような事は起こっていません。携帯電話の普及、子供たちの時計離れ、スマートウォッチの出現...これらの危機を機械式時計は乗り越えてきました。では、10年後にはどのようになっているでしょうか?個人的な意見ですが、現在と変わらない状況になっていると思います。多すぎる生産量、SKU、ブランド(言いにくいことですが、時計製作者全員が成功できる、すべきではないと思うので。)が問題ですが、規模を少し狭めれば良いと思います。

時計製造はアート、科学、工学の魅力ある交差点に存在します。そして人類はその交差点に魅了され続けるでしょう。


To learn more about The RedBar Group