とても多才なNicholas ManousosはFirehouse Horologyの共同創設者、Horological Society of New Yorkの社長、そしてHODINKEEの技術編集者です。


1.  あなたの両親は何をしていましたか?どのようなの幼年期を過ごしたのか教えてください。

私の父は新聞の編集者であり、後にテクノロジー業界で働いていました。 私の母は地元の学校で働きながら私の兄弟と私を育てました。 子供の頃はスケートボード、マウンテンバイク、そしてサッカーを楽しんで過ごしてました。

 

2. 子供の頃なにか大きな志しを持っていましたか?何になりたかったのですか?

私はシリコンバレーのデジタル革命の途中で育ちました。 この時間と環境は私の野心を大きく影響し、私は当初父のようなテクノロジー業界で働きたいと思っていました。 私の工学的な考え方にも貢献したと思います。 難しい技術的な問題は脳のエクササイズであり、私は今も問題を解いて楽しんでいます。

 

3. 子供の頃の最初の記憶は何ですか?

私の父が最初のApple Macintoshコンピューターを持ち帰った時です。 興奮や好奇心が抑えきれませんでした。

 

4. あなたは今まで別の職業を経験したことがありますか?何をしましたか?

私の最初のキャリアはソフトウェアエンジニアでした。 私はシリコンバレーでスタートアップビジネスなどをして、サンフランシスコに上陸しました。 私はエンジニアとして働いて、ウェブサイトやモバイルアプリを作りました。 当時私はデータベースやユーザーインターフェイスなどの作業を得意としてました。 それは素晴らしいキャリアでしたが、私がずっとやりたい事ではありませんでした。

 

途中でレコードレーベルも始め、アメリカやロンドンでDJ演奏もしてました。 私はいつもエレクトロニック・ミュージックのファンであり、90年代と00年代のサンフランシスコのミュージックカルチャーはそれに適した場所でした。

 

5. なぜウォッチメーカーになることを選択したのですか?過去あなたは誰かの為に働きましたか?何があなたに独立し一人立ちすることを決めさせたのですか?

テクノロジー業界で働いて15年ほどの時、私は何か変化が必要だと決めました。 サンフランシスコのイベントでPeter Speake-Marinと出会い、私が探していた「変化」が時計作りであることに気付きました。 妻の励ましも貰い、サンフランシスコからマイアミに引っ越しました。そこで私はWOSTEP提携のNicolas G. Hayek Watchmaking Schoolで勉強することができました。 勉学を終えた後、私の妻と私はニューヨークに引っ越しました。私はニューよで素晴らしい時計製作者のコミュニティを発見しました。 そして私はHODINKEEの技術編集者になり、3Dプリントウォッチメーキングプロジェクトを独自で行い、Horological Society of New York参加し、時計製造業界向けのシリコンコンポーネントを製造するFirehouse Horologyを立ち上げました。

 

6.  あなたがしなければならなかった最悪の仕事は何でしたか?

ソフトウェアエンジニアチームを管理していたソーシャルネットワークHi5に就職た時です。 死にかけていた会社で働いていたのは初めてでした。 なぜならHi5はFacebookと競争していたからです。その競争の結末は言うまでもないでしょう。 私はエンジニアたちに「会社に残れ」と説得することや、人をクビにすることばかりしか出来ませんでした。 それは楽しいことではありませんでしたが、その経験のおかげで難しい状況では常に現実的でいる重要さを私に覚えさせてくれました。

 

7.  これまであなたの人生で一番辛い瞬間は何でしたか?どうやってそれを乗り越えましたか?

ウォッチメイキングスクールを卒業しなかった事です。 途中でカリキュラムを見て、私は大きなブランドのサービスセンターで働くことは嫌だと気付きました。 私は独立して仕事をしたかったのです。 学校を離れることは大きなリスクでしたが、今では正しい判断だったと思います。

 

8.  あなたに最も強い影響を与えたのは誰ですか?あなたにインスピレーションを与える人は誰ですか?

私のウォッチメイキングインストラクターPaul Francis-Maddenは今の私の仕事に対するフィロソフィーに大きな影響を与えてくれました。 彼は私に時計作りを教えましたが、もっと重要な自身の物事の「判断能力」に自信を持つことを教えてくれました。そして私は会ったことはありませんが、George Danielsは私にとって素晴らしいインスピレーションでした。 彼の本は私の時計に対する哲学と、常に私たちの業界にプラスの貢献をするように教えてくれました。

 

9.あなたは何を最も誇りに思っていますか?

私は、Horological Society of New York (HSNY)の復活を非常に誇りに思っています。 HSNYは1866年に設立された世界で最も歴史のある時計協会として知られています。2013年にニューヨークに移住したとき、私はHSNYのミーティングに友人のLuke Cox-Bienから誘われました。あまり人数は多くなかったが、参加者のほとんどは私の二倍の年齢でした。私はHSNYとそのメンバーたちから学ぶ大きなチャンスがあったことに気がつき、私は学会の活動に深く関わっていきました。その後私は取締役会に加わり、副社長に選出されて、現在は社長を務めています。

 

今、HSNYの毎月のミーティングは平均150名の出席者を持ち、世界中から専門家スピーカーを引き付けています。 HSNYは、アメリカで時計製造の基礎を年間約1,000人に教えています。さらに、HSNYは毎年、フルタイムで勉強しているアメリカのウォッチメーカーの学生に$ 10,000のHenry B.Fried Scholarshipを授与しています。最後に、HSNYは最近、マンハッタンのミッドタウンのランドマークのGeneral Society Buildingにあるオフィスで教室を作りました。 HSNYの劇的な活性化と拡大は、ニューヨークの素晴らしいウォッチコミュニティの証拠であり、(主にボランティアの)チームの献身です。

 

10. あなたと同様の道を歩むことを考えている20代の方ににあなたはどのようなアドバイスを与えますか?

HSNYでは、今持っている仕事をやめ、時計業界で働く事をを望んでいる人がしばしば居ます。 私が見てきた限りでは、それは泳げないのハイダイビングから飛び降りるようなものです。 基本を必要としますが、本以外に基本を学べる場所はほとんどありません。 私は、時計製造に対し、真剣に関心を持っている人にはHSNYのクラスを全て取ることをお勧めします (学生または兵役経験者の場合、クラスは無料です)。これは、自分のつま先を水に入れて泳ぐ事を学ぶ方法です。 多くの時計学校は入学生に時計作りの知識がない方が良いと言いますが、私は同意しません。 私の経験では、確かな基礎が最良のアプローチです。 私はHSNYでフルタイムの学校に入学する前に、多くの生徒が私たちのクラスでキャリアをスタートするのを見て非常に満足しています。

 

11. バケットリスト(死ぬまでにやっておきたいことのリスト)にある3つのことを教えてください。 

まず、フランス語を学ぶことです。 私は高校でフランス語の授業を受けていましたが、今では学んだほとんどの知識を忘れてしまいました。 最近ではニューヨークの語学学校でフランス語の授業に参加していますが、あまり成果が見られません。 スイスに行くたびに、私のフランス語の悪さを身に沁みるほど痛感します。私はフランス語の知識はウォッチメイキングの仕事の助けになると知っています。

 

2番目はマラソンを完走することです。 私はランニングをかなり楽しんでおり、毎年11月にニューヨークマラソンを観戦しています。

 

3番目は火星に行くことですが、私はその旅行に行くことを妻を納得させることは難しいなと思っています(笑)! 私はElon Muskの仕事に魅了され、火星への旅行が可能になる日を楽しみにしています。

 

12. 業界の10年後はどのようになってると思いますか?

現在シリコンはヒゲゼンマイや脱進機以外ではあまり使われておりませんが、10年後にはシリコンがもっとムーブメント内で使われていると思います。 シリコンは時計製造において新しいフロンティアを開き、今の技術では製造することはほとんど不可能なコンプリケーションや脱進機を可能にすると信じています。


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